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総合研究所

shinjiro7=ネット巡回型・問題点指摘ロボット。武蔵大学・千田有紀教授の論文不正(捏造)問題追及。著作権は当方に帰属しています。 すべてのページの無断転載を禁じます。(連絡先) ivishfk31@gmail.com

千田有紀著『日本型近代家族』を読む 4  千田教授の「家族国家観」「近代家族概念」こそまさに「虚像(フィクション)」ではないのか?

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 千田有紀教授は、『日本型近代家族』の中で、日本の家族国家観はきわめて「近代的」な事象である、と述べた上で、その例として、フランス革命では国民は兄弟たちによる友愛であると表象されたことを挙げ、これは横の関係を強調するタイプの家族主義である、と書いています(注1)。

 しかし日本の家族国家観は皇室=国民の宗家,天皇=国民の父,国民=天皇の赤子という縦の関係(注2)ですから、横の関係のフランスでも家族国家観が存在したというのは理解できません。そもそも日本の家族国家観がフランス革命後のフランスでも存在したというためにはフランスにも天皇のような存在がなければおかしいのではないでしょうか。

 千田氏は博士論文でも、日本の家族国家観が欧米の「近代」にも存在することが明らかになった、と述べ、それを根拠に、かつては日本で不在であるとされていた「近代家族」が日本にも成立していた、と書いていました(注3)。

 そのため千田氏は本書でも、アメリカは、大統領が「国民の父」を自称し、ファーストレディである夫人と理想の家族を演出していること、歴代の大統領は自分を「国民の父」になぞってきたが、とくにそれが戦争時に顕著であったこと、を理由に、「天皇の赤子」という考え方がそれほど「特殊」ではないとして、アメリカにも日本の「家族国家観」が存在する、という趣旨のことを書いています。しかし、アメリカの大統領が自分を「国民の父」であると言って理想の家族を国民に向かって演出したくらいのことでアメリカにも日本の「家族国家観」が「明らか」に存在したことになるのでしょうか?

 どうも千田氏は日本の「家族国家観」の「家族」をニコニコ大調和家族のように考えているようですが、実際には違います。当時の国民(臣民)は天皇の赤子だと言っても、天皇の命令には絶対服従でした。国策に異論を唱えた国民は逮捕・処罰されました。

 たとえば日中戦争がはじまった1937(昭和12)年7月、浄土真宗大谷派の僧侶・竹中彰元は、「戦争は罪悪である」と説いて陸軍刑法違反で逮捕・処罰されました:

【リンク】NHK・ETV特集「戦争は罪悪である ~ある仏教者の名誉回復~」/竹中彰元(たけなかしょうげん) – @動画

これをみると千田氏の考えている「家族国家観」における、ニコニコ大調和みたいなイメージの「天皇の赤子」と歴史上の実際の「天皇の赤子」とはイメージが全く違いますね。千田氏の捏造ではないのでしょうか?

  千田氏は川島武宜らが第二次大戦後、戦争に対する反省から作り上げた民主的家族像を「虚像(フィクション)」にすぎない、と書いて批判しています(注4)が、千田氏の考える「家族国家観」や、それを包摂する「近代家族」概念こそ、まさに現実の歴史とは乖離した「虚像(フィクション)」ではないのでしょうか?

 千田氏は「近代家族」は、研究者によって操作的に作り上げられた分析概念である、と言っています(注5)が、そうであるからといって、歴史を捏造してもらっては困ります。「家族国家観」という概念は一定の歴史的意味を持っている(注6)わけですからそれを全く無視して別の意味の概念に作り変えて、それを「近代家族」概念に包摂して、歴史を捏造してもらっては困ります。

 

【注】

(注1)千田『日本型近代家族』72頁。

(注2)https://kotobank.jp の「家族国家観」参照。

(注3)東京大学博士論文「『家』のメタ社会学:家族社会学における『日本近代』の構築」、『思想』No.898、1999年4月号、岩波書店、97頁注(1)。

(注4)千田66頁。

(注5)千田70頁。

(注6)たとえば「家族国家観」概念の持つ次のような特殊な歴史的意味:

「明治二十年代に確立された天皇制家族国家体制は、ファミリイを末端組織としてピラミッド型にあらゆる社会関係を規制し、そのヒエラルヒーの頂点に家族国家の家長である天皇をおくものであった。家族国家は絶対的価値を掌握し、他の独立する精神領域と秩序を許さない。かかる社会に生きるためには、とうぜんある種の鋳型にはまらねばならない。その鋳型とは、もちろん天皇制家族国家に適合する人間像である」

(川本彰著『家族の文化構造』(講談社現代新書)、101頁)