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総合研究所

shinjiro7=ネット巡回型・問題点指摘ロボット。武蔵大学・千田有紀教授の論文不正(捏造)問題追及。著作権は当方に帰属しています。 すべてのページの無断転載を禁じます。(連絡先) ivishfk31@gmail.com

武蔵大学・千田有紀教授の博士論文「『家』のメタ社会学:家族社会学における『日本近代』の構築」を読む 4

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 武蔵大学千田有紀教授の博士論文「『家』のメタ社会学:家族社会学における『日本近代』の構築」(注1)の中で気になる点を列挙していきます。

 

 千田氏は98頁注12で「民法改正による家族の民主化は・・・『近代家族』の完成をめざしていたといえるだろう」と書いていますが、本論文では「近代家族」の意味内容や定義自体が一義的に明らかにされていません。「近代家族」の概念自体、学者によって、論者によって、さまざまな見解があるのです。このことは本論文に紹介されている「近代家族」に関するさまざまな学者の見解からも明らかです。また76頁では千田氏自身が「『家』という概念には、『日本の近代』をどう捉えるのか、という問題が潜んでいる」と問題提起をしているように、そもそも「日本の近代」という概念自体、どう捉えるか一義的に明らかでないのです。すると、「日本の近代」の概念の定義も意味内容も、「近代家族」の概念の定義も意味内容も不明確なままで、なぜ「民法改正による家族の民主化は・・・『近代家族』の完成をめざしていた」と言えるのでしょうか?社会科学的論証になっていないと思います。

 

 また90頁で千田氏は森岡清美氏の理論を批判して「『現代』が欧米の『近代』とは全く異なると考えられることによって、『日本の近代』や日本の『近代家族』が何であるのかは、問われなかったのではないだろうか。」と述べていますが、そのように森岡を批判する千田氏自身、「日本の近代」や日本の「近代家族」が何であるのかについて本論文で明確には考察されていないように私には思えます。自分が明確にできていない概念を、他人だけ批判するというのはフェアではありません。

 

 97頁、本論文の結論部分では「『日本』という『想像の共同体』」という表現が唐突に出てきます。「想像の共同体」などという、社会科学的な定義も意味内容も全く明らかでない概念を唐突に持ち出してきて、「日本は想像の共同体である」という、社会科学的に何ら証明のなされていない命題を書いて論文を締めくくるのは博士論文としていかがなものでしょうか。論文不正(捏造)ではないのでしょうか?もしこれが特定の社会学者の概念であるのならその旨注釈で明記すべきですし、特定の社会学者の概念であるにもかかわらず注釈をつけずに書いたのならそれは論文不正(盗用)です

 

 千田氏は80頁で「民法を検討すれば、単語のレベルでの民主化に、過剰な意味が与えられすぎてきたのではないかという疑問がわいてくる」と書いたうえで、注12において「明治民法は今日考えられている以上に、個人主義的な法制度であった」と結論していますが、この部分は私のように法律学を学んだ人間としては非常に気持ちの悪い、違和感のある記述です。新民法のもとでの民主化は単に、「単語のレベルでの民主化」にすぎなかったのでしょうか?憲法をみると、明治憲法日本国憲法とで、憲法そのものに大きな変化があって、学説では「八月革命説」という有力な見解まであるのに、憲法の下位規範である新民法のもとでの民主化は単に、「単語のレベルでの民主化」にすぎなかったのでしょうか?そもそも「単語のレベルでの民主化」とは社会科学的にどのような事態を意味するのでしょうか?疑問がわいてきます。

 97頁では千田氏が本論文の結論を述べていて、それによると戦後日本の社会科学は戦争への反省を行ったから、それがかえって「家」を遡及的に作り上げ、日本の「伝統」や「特殊性」を構築し、再び「日本」という「想像の共同体」の再構成してしまった、との趣旨を述べています。つまり千田氏にとっては戦後日本の社会科学が戦争への反省を行って「想像の共同体」の再構成をもたらしてしまったことが、女性の解放を妨げたので、非常に迷惑で困ったことだと千田氏は考えているのです。この結論が先にあって、この結論に合わせるために千田氏は戦後の民主化の過程を無理やり「単語のレベルでの民主化」と矮小化してしまっているように思います。千田氏が言いたいことは、要するに、戦後の学者が戦争への反省だ、民主化民主化、と言って大騒ぎしたから「想像の共同体」の再構成をもたらしてしまったんだ、そのおかげで女性は解放されずにいまなお大迷惑しているのだ、先人はよくも戦争の反省などという、とんでもないことをしてくれたものだ、と言いたいのでしょう。それを言うために、戦後の民主化をたかが「単語のレベルでの民主化」に過ぎない、と無理やりこじつけて言っているのです。先人が大変な努力を払って行った戦争への反省、戦後の民主化を、自分の導きたい結論に合わせるために、社会科学的根拠もないのに「単語のレベルでの民主化」に過ぎない、と言って無理やり矮小化してしまう(注2)(注3)ことは、論文不正(捏造)だと私は思います。みなさんはどのように思われますか?

  

 【注】

 (注1)『思想』No.898、1999年4月号、岩波書店

 (注2)この点、千田氏は次のように書いています。この発想なら論文不正も簡単にできてしまいますね:

・科学は決して「客観的な事実」を伝えるのではないということが、わかってもらえるかと思います。そもそも「客観的な事実」の存在自体も、怪しいものです。導き出される「結論」は、必ずその解こうとした「問題」の答えであり、その「問題」を設定するのは「人間」だからです。

 

千田有紀著『女性学/男性学岩波書店、25頁)

 

・どんなものの見方もかならずそれをみる眼差しによって規定されているのですから、そもそも「中立」や「客観性」というものが存在しません。

 

千田有紀著『女性学/男性学岩波書店、81頁)

 

(注3)千田氏が80頁で述べている「戦後民法と明治民法の連続性」という命題も、千田氏が「単語のレベルでの民主化」という主張を補強もしくは相互補完するために主張している。しかし千田氏の行った「戦後民法と明治民法の連続性」の論証の社会科学的方法の問題点についてはすでに当ブログ過去記事で指摘したとおりです。