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総合研究所

shinjiro7=ネット巡回型・問題点指摘ロボット。武蔵大学・千田有紀教授の論文不正(捏造)問題追及。著作権は当方に帰属しています。 すべてのページの無断転載を禁じます。(連絡先) ivishfk31@gmail.com

「合意があると思っていた」なら「悪質ではない」のか 高畑裕太氏弁護人コメントへの疑問 (太田啓子)、の問題点

【結論】(←忙しい人はここだけ読んで下さい)

行為無価値論に立てば、行為者の内心的・主観的事情が違法性の評価資料になるのだから強姦罪加害者が「合意があるものと思っていた」との主観的事情が「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」ことの理由になるのは刑法理論的に当然のことである。ところが太田啓子弁護士はこの点を無視して論を進め、「合意があるものと思っていた」との主観的事情が「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」ことの理由になるか否かは個別具体的な事案の経過による」と結論づけている点で、問題がある。

 

【本論】(←時間のある人はここを熟読してください)

以下では太田啓子弁護士の次の記事の問題点を指摘する。

「合意があると思っていた」なら「悪質ではない」のか 高畑裕太氏弁護人コメントへの疑問 | 太田啓子

 

太田啓子弁護士は上記記事(2)第3~第4段落で次のように述べている:

では一般に、「合意があるものと思っていた可能性が高い」ことは、「無罪である」こと、あるいは「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」ことの理由になるのであろうか。

結論からいえば、これは、個別具体的な事案の経過によるといえ、単純に「合意があると思っていた可能性が高い」から常に「無罪」とか「悪質ではない」とはいえない。

 

また太田啓子弁護士は同記事(5)の第2段落で次のように述べている: 

一般論として「合意があったと思い込んだ、(だから、仮に法的責任を負うとしても)悪質じゃない」といえるかどうかは事案によるとしかいいようがないということは強調しておきたい

 

 以上のように一般論を述べる太田弁護士であるが、これは刑法総論の一般理論の説明としては間違っている。

 以下理由を述べる。

 刑法の通説的見解であり実務でも用いられている行為無価値論は、違法性の本質を社会倫理規範に対する違反とみる。この行為無価値論は、法益侵害ないしその危険という行為の「結果」だけでなく、行為の種類・方法、行為者の目的等によって特徴づけられる「行為の態様」が社会倫理秩序に照らし相当であるか否かを判断し、この社会的相当性からの逸脱を違法性の中核に据えるので、行為者の内心的・主観的事情は、・・・すべての犯罪に共通な要素である故意・過失を含め積極的に違法評価の資料とされる(注1)。

  すると、強姦事件の加害者が行為時に「合意があるものと思っていた」場合には、太田弁護士も述べているように故意が否定され結論として犯罪不成立=無罪になるわけであるが、この場合、単に故意が否定されるから強姦罪が不成立になる、というだけの話ではなく、行為無価値論で理論的に説明すれば、行為者の内心的・主観的事情は違法評価の資料となるので、被害者の合意があると思って性行為を行った場合のほうが、被害者の合意がないことを認識しながら性行為を行った場合に比べて、行為の、社会倫理規範に対する違反の程度がはるかに小さく、したがって違法性が著しく低い、ということになり、結論として「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」との結論を一般的・理論的に、導くことができる(注2)。

 従って加害者が行為時に「合意があるものと思っていた」ことは「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」ことの理由になる、との結論を刑法理論=行為無価値論から一般的・理論的に導き出すことが可能である。

 ところが太田弁護士は、「結論からいえば、これは、個別具体的な事案の経過による」「一般論として・・・事案によるとしかいいようがない」と述べるのみで、上記結論を刑法理論から一般的・理論的に導き出すことができる点について一切触れていない。この点で太田弁護士は間違っていることは強調しておきたい。

 

【本件記事が一般社会に与える影響】

 太田啓子弁護士が本件記事において行為無価値理論、及び、行為無価値論から導き出される理論的帰結について一切触れないまま、加害者の「合意があるものと思っていた」との主観的事情が「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」ことの理由になるか否かは「個別具体的な事案の経過による」と結論づけたことによって、「刑事法には理論は存在せず、個別具体的な事案の経過次第ですべてが決まる」という誤解を一般社会に与える危険がある。

 

【その後・・・】

2016年9月13日、ツイッターで太田啓子弁護士に次の質問をしましたが、現在のところ回答はありません。

・質問

行為無価値論では行為者の内心的・主観的事情が違法評価の資料になるのですから、「合意があると認識していた」場合は、合意があると認識していなかった場合よりも規範からの逸脱の程度が低く、従って「顕著な違法性は無い」ことになるのでは?

 

(注1)

『刑法総論の思考方法』(新版)大塚裕史、早稲田経営出版、2005年、35頁。

(注2)

以上はあくまで理論的説明であり、もちろん裁判で裁判所が「加害者は行為時に、被害者の合意があったと認識していた」事実を認定すれば最終的には故意がない、犯罪不成立、という形で法的処理がなされることにはなる。