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総合研究所

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自民党憲法改正草案13条と生長の家谷口雅宣総裁発言の比較・検討 ~全体主義と個人主義~

【注意:私の家は母が生長の家を信仰していますが、私自身は生長の家に反対しています。創始者谷口雅春氏の教えは天皇信仰や、国家主義全体主義思想、女性差別思想がその核心をなしており、日本国憲法秩序に矛盾・抵触すると判断したからです。この点、誤解のないようお願いします。】

 

第1 生長の家谷口雅宣総裁のツイッター発言

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第2 条文

日本国憲法

 第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

自民党憲法改正草案

(人としての尊重等)
十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

 

第3 研究

  日本国憲法13条では「すべて国民は、個人として尊重される」と規定されているが自民党憲法改正草案13条では「すべて国民は、人として尊重される」に変更されている。つまり日本国憲法の「個人」の文言が自民党憲法改正草案では「人」に変更されている。

 これは幸福追求権・自己決定権を有し固有の人生を生きるかけがえのない「個人」が、国家が遂行する戦争において国家の命令で250キロ爆弾を搭載した航空機に乗せられ敵艦隊に体当たりして死亡すると、これは、憲法13条の幸福追求権、自己決定権の侵害になり、国家による人権侵害になってしまうが、「個人」ではない単なる「人」であればいちいちかけがえのない存在であるかどうかを問題とする必要はなく、ちょうど民法でいう「種類物」のようなものでいくらでも「人」を調達可能であるうえ、250キロ爆弾を搭載した航空機に国民を乗せ敵艦隊に体当たりさせて死亡させてもとりあえず靖国神社に祭っておきさえすれば動物よりは「人として尊重」されたことになるという趣旨である。

 これに対して谷口雅宣総裁は、自民党憲法草案とは異なり「個」=「個人」、の存在を前提としつつも、個人にはそれぞれ使命があり、個人に「使命」があるという意味は、その人を取り巻く環境において、その人でなければ果たせない役割がある、だからこそ「個人」は全体の中でかけがえがなく、「神の子」として尊いと言う。これはつまり上の例で言えば、国家の命令で250キロ爆弾を搭載した航空機に乗って敵艦隊に体当たりする使命を課せられた個人はその人でなければその役割を果たせない、あなたの代用はいない、だから「個人」は全体の中でかけがえがない、したがってまた「神の子」として尊い、ということになる。

 自民党憲法改正草案の発想、つまり、「国民は個人ではなく単なる人だからいちいちかけがえのない存在であるかどうかを問題とすることなく、250キロ爆弾を搭載した航空機に国民を乗せ敵艦隊に体当たりさせて国民を死亡させてもとりあえず靖国神社に祭っておきさえすれば動物よりは人として尊重されたことになる」という発想と、谷口雅宣総裁の発想、つまり「国民は個人として尊重はされるけれども、ここでいう『個人として尊重』される、の意味は、250キロ爆弾を搭載した航空機に国民を乗せ敵艦隊に体当たりするという、その人にしか果たせない役割があるから個は全体の中でかけがえがない。だからあなたは神の子なのだ」という発想とは紙一重の発想であることがお解りいただけるであろう。

 谷口雅宣総裁の考え方のように、一見、個人を尊重する考え方(個人主義)を採用しているように見えても、全体主義と紙一重の考え方も存在することに注意されたい。特に、生長の家谷口雅宣教団が今なお説く「人間肉体なし」「実相」「人間神の子・無限力」の教えは、戦争になればたちまち創始者・雅春の「戦争は最高の宗教的行事」の教えに転化する危険な教えであり、これは「いつでも核ミサイルを作れるように原発だけは動かし続ける」という自民党の発想と同じである。

 

【まとめ】

自民党憲法改正草案13条・・・国民は個人としては尊重されないが国家の命令で250キロ爆弾を搭載した航空機に乗せられ敵艦隊に体当たりして死亡すると靖国神社に祭ってもらえるので動物よりは「人として尊重」される。

 

●谷口雅宣総裁・・・人はかけがえのない存在で、個人として尊重されるが、国家から、250キロ爆弾を搭載した航空機に乗って敵艦隊に体当たりしてこい、という命令が下された場合、その命令を遂行する、という、その人にしか果たせない役割があるから個は全体の中でかけがえがない。だからこそ人は「神の子」として尊い。逆に、国家から、250キロ爆弾を搭載した航空機に乗って敵艦隊に体当たりしてこい、という命令が下されたにもかかわらず、その命令を遂行しなかった場合、そのような個人は全体の中でなんの価値もないし、「神の子」と呼ぶに値しない。