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総合研究所

shinjiro7=ネット巡回型・問題点指摘ロボット。武蔵大学・千田有紀教授の論文不正(捏造)問題追及。著作権は当方に帰属しています。 すべてのページの無断転載を禁じます。(連絡先) ivishfk31@gmail.com

菅野完著『日本会議の研究』の研究 5 ~矛盾挙動の塊~

 【注意:私の家は母が生長の家を信仰していますが、私自身は生長の家に反対しています。創始者谷口雅春氏の教えは天皇信仰や、国家主義的・全体主義的な教えや女性差別的な教えがその核心をなしており、日本国憲法秩序に矛盾・抵触すると判断したからです。この点、誤解のないようお願いします。松浦】

 

第1

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第2 研究 

 すでに紹介したように菅野完という人物は「生長の家創始者・谷口雅春氏に心酔する民族派」である(※1)。にもかかわらず、菅野完氏は著書『日本会議の研究』の中で、自分と同じく谷口雅春氏に心酔する日本会議日本政策研究センターのメンバー(以下では単に「日本会議メンバー」とする)(※2)を立憲主義と民主主義を「殺す」(※3)人々として、まるで犯罪者かなにかのように紹介しており、その意味で矛盾に満ち満ちた人物である。

 私自身は谷口雅春氏の思想は、日本国憲法秩序に矛盾するので反対であるし、同じ理由から「日本会議」の政治運動にも反対である。私のように谷口雅春氏の思想に反対する人間が日本会議を批判するというのなら理解できるが、菅野完氏のように一方では「生長の家創始者・谷口雅春氏に心酔する民族派」を自称しながら、全く同じ思想に基づいて政治運動している人々を「原理主義者」(※4)というふうに、著書で犯罪者のように書くという、この矛盾挙動が全く理解できない。菅野氏は、谷口雅春氏に「心酔」しているのならまず著書の「まえがき」で「自分は雅春原理主義者です」と名乗ってから他人を「原理主義者」と攻撃するべきではなかっただろうか?自分の著書さえ売れてお金さえ儲かればそれでいい、という汚い商売人根性が透けて見える。私の知る限り少なくとも谷口雅春氏は他人を犠牲にして自分だけ私腹を肥やすようなそういう汚い教えを説いてはいなかったように思うのだが、菅野氏はいったい谷口雅春氏の何に「心酔」したのであろうか。その点も興味深いところではある。

 しかも同書では菅野氏は自分が「生長の家創始者・谷口雅春氏に心酔する民族派」である事実には一切触れていないばかりでなく、自分の経歴も学歴も本名も(?)一切、書いていない。すべて隠して同書を執筆した。それにもかかわらず菅野氏は、日本会議のメンバーを攻撃するときだけは、日本会議のメンバーが谷口雅春氏の思想に基づいて運動している事実を社会に公表せずに政治運動しているのは問題である、事実を公表するべきだ、と言って日本会議のメンバーを攻撃する(※5)。

 このように菅野氏は、同じ思想を持つ仲間(というより菅野氏にとっては信仰上の大先輩にあたるはずの人々)をみずから「売る」行為をしておきながら、いまさら「バッシングが始まります。きっとそうなります。それが連中のやり方」と言うのはどういうことなのであろうか?自業自得ではないのだろうか?

 また「谷口雅春氏に心酔する民族派」を自称する菅野完氏は、元しばき隊のメンバーだったそうだが、基本的人権否定、女性差別、の雅春氏の思想(※6)と、人権を肯定することを前提にレイシストをしばく行為とは、矛盾しているのではないだろうか?昔は「しばき隊」だったが今は「しばき隊」を辞めて完全に雅春氏に心酔しているということであろうか?

 菅野完、矛盾挙動の塊である。

 

(注)

(※1)http://shinjiro7.hatenablog.com/entry/2016/07/31/000000

(※2)安東巌、椛島有三、衛藤晟一、百地章高橋史朗伊藤哲夫。これらの人々は同書では「生長の家原理主義者」あるいは「一群の人々」と書かれている。同書297頁など。

(※3)菅野、『日本会議の研究』298頁

(※4)同書232頁、266頁など。なお、現在の生長の家3代目谷口雅宣氏の教団においては「原理主義者」とは、「かつて谷口雅春の説いた教えを文字通りに信じた結果、凶悪犯罪者になる危険性のある者」という特殊な意味を有することに注意されたい。創始者谷口雅春の教えは「言葉は真理そのもの」(声字即実相・しょうじそくじっそう)という教えに基づき文書伝道によって人類を光明化する運動(=人類光明化運動)であった。ところがその教えの中には天皇信仰、女性差別外国人差別基本的人権否定、国家主義全体主義、といった日本国憲法秩序に矛盾抵触する教えが多数含まれていたため3代目谷口雅宣氏は雅春氏の真理の言葉を無力化する「言葉に真理などありません」という「不立文字=ふりゅうもんじ」の教えや、谷口雅春氏の教えを文字通りに信じて実践すると危険な犯罪者になるという「原理主義」の教えを説いている。これらは「今の教え」と呼ばれる。つまり菅野完氏が安東巌、椛島有三、衛藤晟一、百地章高橋史朗伊藤哲夫という「一群の人々」を「生長の家原理主義者」と書いたことは、3代目雅宣氏の「今の教え」に立脚して、これらの人々を「犯罪者(もしくは犯罪者予備軍)」としてラベリングしたことになるのである(だからこそ本書は雅宣氏に生長の家ホームページで取り上げられたのである。:http://www.jp.seicho-no-ie.org/news/sni_news_20160609.html これは言わば、菅野氏が雅宣氏から「よくぞ今の教えに立脚して雅春原理主義者を叩いてくれた。よくやった」とお褒めの言葉を頂戴したことを意味する)。このように、菅野完氏は、一方では谷口雅春氏を否定する3代目雅宣氏の「今の教え」に立脚して本書を執筆しながら、一方では「谷口雅春氏に心酔する民族派」を自称している。この点も菅野氏が矛盾している点である。

(※5)(※1)に同じ。

http://shinjiro7.hatenablog.com/entry/2016/07/31/000000

 (※6)下記リンク先参照。

(1)http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/439280417.html

(2)http://www.geocities.jp/seichou5/newpage21.htm

(3)http://www.geocities.jp/seichou5/newpage7.htm